- 禅僧であったが還俗し、近世儒学の祖と呼ばれた儒学者はだれか。
- 藤原惺窩の門弟で、徳川家康に仕えた儒学者はだれか。
- 林羅山はどちらに属するか。
- 林羅山が重んじたのはどちらか。
- 林羅山が説いた、敬によって自己の本来の心を保つ境地をなんというか。
- 林羅山の説において、天下の道理である天理が支配する人倫の理をなんというか。
- 林羅山の著書はどちらか。
- 谷時中の弟子で、朱子学に傾倒し、神道研究にも励んだのはだれか。
- 山崎闇斎が唱えた、神道と儒教を集合した宗教はなにか。
- 江戸時代の本草学者・儒学者で、『養生訓』『大和本草』を著したのはだれか。
- 江戸時代の日本陽明学の祖と呼ばれ、『近江聖人』とも称されたのはだれか。
- 中江藤樹が全ての道徳の根本においたのはどちらか。
- 中江藤樹の主著はどちらか。
- 陽明学者である熊沢蕃山の主著はどちらか。
- 儒学の立場から、従来の武士道を批判し、新たな士道を提唱したのはだれか。
- 山鹿素行の提唱した、直接孔子らの教説を学ぶべきとした学問をなんというか。
- 伊藤仁斎が成立させた、『論語』などを本文に即して精読する学問をなんというか。
- 伊藤仁斎が人々の行為の理想としたのはどちらか。
- 伊藤仁斎が理想とした、人々の偽りのないありようをなんというか。
- 伊藤仁斎の著書はどちらか。
- 荻生徂徠が成立させた、六経をその時代の意味で理解する学問をなんというか。
- 荻生徂徠が儒教の核心として重視したものは何か。
- 荻生徂徠の著書はどちらか。
- 荻生徂徠の著書はどちらか。
- 国学者であり、歌文の学の祖であるのはだれか。
- 国学者であり、古道の学の祖であるのはだれか。
- 歌文の学と古道の学を統合し、国学を確立したのはだれか。
- 国学者が批判したのはどちらか。
- 賀茂真淵が賛美したのはどちらか。
- 賀茂真淵が「ますらおぶり」の精神を見出したのはどちらか。
- 賀茂真淵ののちに国学を大成したのはだれか。
- 賀茂真淵の著書はどちらか。
- 本居宣長が賛美したのはどちらか。
- 本居宣長が人道の規範でもあるとして尊重したのは何か。
- 本居宣長が説いた教説はどちらか。
- 本居宣長の著書はどちらか。
- 本居宣長の著書はどちらか。
- 本居宣長の古道の考えを受け継ぎ、神道への復帰を説いたのはだれか。
- 平田篤胤が開いたのはどちらか。
- 平田篤胤の著書はどちらか。
- 江戸時代に町人社会の様子を浮世草子として描いたのはだれか。
- 江戸時代に町人社会の様子を浄瑠璃として描いたのはだれか。
- 町人が商業で得る利益は武士の俸禄と同じ正当なものであると説いたのはだれか。
- 石田梅岩が説いた、町人が守るべき道徳はどちらか。
- 石田梅岩の教説はなんと呼ばれたか。
- 石田梅岩の著書はどちらか。
- 町人の生き方を積極的に肯定し、『町人嚢』などを著した長崎の町人はだれか。
- 農民の困窮の原因として封建制度を批判した農民思想家はどちらか。
- 安藤昌益が理想としたのはどちらか。
- 安藤昌益が理想の世としたのはどちらか。
- 安藤昌益の著書はどちらか。
- 困窮した農家に生まれ、一家を再興したのち、多くの農村の復興につとめたのはだれか。
- 二宮尊徳が説いた、人が自然に対してなす働きを何というか。
- 二宮尊徳が説いた人道の具体的な方法のうち、人々が自分の経済力に従って限度を守って生活することをなんというか。
- 二宮尊徳が説いた人道の具体的な方法のうち、余剰を将来のために備えて蓄えることを何というか。
- 二宮尊徳の思想はなんと呼ばれるか。
- 江戸時代の日本において、デカルト的な懐疑の重要性を自覚した哲学者はだれか。
- 幕府に甘藷の栽培を進めた蘭学者はだれか。
- 前野良沢や杉田玄白が翻訳した西洋医学書は何か。
- シーボルトに医学を学んだ蘭学者はだれか。
- 『ターヘル=アナトミア』翻訳の苦心談が書かれた杉田玄白の著書はどちらか。
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